「美味しいのは、一本釣りだから。」

海辺で採れたばかりの新鮮な鰹を藁で焼き、塩でたたいた「鰹のたたき」を戴く。今まで食べていたのは何だったんだろう、と思うぐらいの新鮮な海の幸に感動。ネギと生姜、ニンニクの薬味が良く合う。漁師さんの話を聞く。「鰹を高速船で追い回したらストレスがかかりよるし、一網打尽の大網漁では、魚が網に押し込められて窒息するやろ。打ち身だらけになって身が不味くなるんよ。土佐の一本釣りなら、鰹は生きたままのプリプリですいっと船に上げられ、そのまますっと眠るように船上で冷凍される。綺麗に膨らんだ銀色で、美味しいよ。釣りつくすことは無いから群れは残るし。」そうか、それが海を守るということ、大漁の値崩れを避けるということなのか。きっと珊瑚採りも同様だ。

月灘を立ち、土佐清水を経て、最果ての足摺岬へ。岬の上にある「青岬」という民宿を目指す。左は清水の湧く崖、右は真っ青な海の見える絶壁に挟まれた細い上り坂を、うねうねと上る。女将の西田久子さんの笑顔に出会えてほっとした。

地元生まれの女将さんが話してくれる。かつて足摺には紀州(和歌山県)から船でやって来た商人が住んでいて、「だんなさん」と呼ばれていたそうだ。土佐清水名物の「鰹節」の作り方を教えたのも、紀州の旦那さん。女将さんも大人になって初めて、人が敬うそのお墓の意味を知ったとか。やはりこの海は日本中に繋がっていたのだなあ、と実感する。宿の屋上から足摺岬の先端を見ると、かつて珊瑚船がたくさん出ていたという古代港「松尾浦」が見えた。今ではすっかり静かで穏やかな集落だ。

夜、すこぶる美味しい鰹のたたきと、新鮮な地元野菜たっぷりの夕食を戴きながら、「もっと珊瑚の話が聞きたいのです」と言う私に、女将さんが「お月さん ももいろ」の歌を口ずさんでくれた。月灘のももいろさんごにまつわる歌で、実はそれこそが今回の旅のもう1つの目的。

昭和48年に発行された美しい絵本「お月さん ももいろ」にも書かれている、この地方の珊瑚の伝承歌である。「その話を良く知っている人がいるよ。」と、女将さんが友人に連絡を取り、ついに小才角に住む珊瑚加工業の川内昭一さんを紹介して戴く。翌朝、再び道を戻して、月灘へ向かう。昨日より晴れて海は真っ青だった。静かな小才角集落にあり、目の前の美しい海を見降ろす川内さんのお宅に伺った。


「世界の海にある、珊瑚の道」

「ここは、弘法大師の通った道。うちのご先祖さんが弘法大師に水を恵んだ時に、お礼に教えられたと言う真水の出る井戸も有るよ」。温厚そうな職人の川内さんと、笑顔の明るい奥様にお会いして、お話しを伺う。今でも、四国ではさかんに「お遍路さん」と呼ばれる「八十八ヶ所の巡礼」が行われている。そんな巡礼を受け入れてきた土地柄だからか、明るい海に面しているからか、皆さんとても人に温かく、優しい方達だ。とても居心地の良い時間が流れていく。

川内さんの家系は明治時代の豊かな庄屋だった。イタリア人が泊まった写真も残っているという。珊瑚船の船主であった父の川内一幸さんは「いっこうさん」と呼ばれた地元の名士で、土佐だけでなく九州、五島、沖縄、そして新天地の香港、台湾、東シナ海へと、次々と珊瑚船を出して運営していた。後には、珊瑚の加工・販売業に転身し、日本の珊瑚業の技術を諸外国にまで広めたのだ。その次男の昭一さんが家業を継いで、すでに50年以上。作業を兼ねた川内さんの自宅には、赤や桃や白の宝石珊瑚の原木が溢れ、加工途中の作品や玉があちこちに置かれている。庭では玉造りの機械が回り、ころころと鳴っていた。川内さんのお婆さんはよく「お月さん ももいろ」の歌を口ずさんでいたと言う。父の一幸さんら月灘の人たちが、その歌を残すべく、例の絵本を作らせたのだという。

「珊瑚採りは大変よ。今は1人乗り。小舟を夜明け前に沖へ出し、重い石に細長い網をつけた漁具を深海に沈める。静かに挽きながら夕暮れまで待って引き上げても、大きな珊瑚はそうめったとは掛からん。ひと月掛からんこともあれば、突然、大きいのが掛かることもある。まあ博打みたいなもんよ。」川内さんは笑顔で語るが、頭によぎる珊瑚採りの苦労は計り知れない。

「だからうちの父は早くに加工業になって、その後を自分が継いだ。丘に上がって良かったよ。けど、珊瑚もその時代、その時代の人気によって価値や値段が変わる。昔はモモやシロが良く売れたけど、今は台湾にアカがよう売れる。それもいつまで続くかは誰もわからんよ」。すべてのものがそうだが、その時の価値や値段は人間が決めるものだが、最終的な真価は無くなってみなければわからない。珊瑚もそうなってしまうのか。

記念にと、川内さんが彫った可愛らしい赤バラのイヤリングと、桃色のブレスレットを頂いた。楽しい話がはずんで名残惜しかったけれど、感謝して月灘を去り、海辺の道を去って四万十川を上る。川内さんの紹介で、再び高知市内へ。次に向かうのは弘化台にある「黒潮観光市場」である。


「宝石珊瑚の夢よ、もう一度。」

実は土佐に来る前に、足摺には昭和中期に出来た「珊瑚博物館」という、宝石珊瑚の資料館があると調べて楽しみにしていたが、残念ながら建物の老朽化がはげしく、すでに閉館されていた。中国宮殿風の豪華な作り、巨大な竜宮城を思わせるその建物は拝見出来て、それは想像を超える凄い遺産だった。当時、中国と貿易のあった珊瑚業の人たちが、すべての建材を中国から運び、当時で10億円をかけて建てたものだという。かつてその博物館を営んでいた人の息子、濱田南海男さんが珊瑚業を続けており、博物館にあった巨大な珊瑚作品「名古屋城」は今、濱田さんの店「黒潮観光市場」にあると、川内さんに伺ったのだ。そこで拝見した巨大な珊瑚のお城。桃珊瑚、赤珊瑚、白珊瑚、鼈甲などで出来た珊瑚城は、まるで丘の上の竜宮城のようにも見えた。

「私の祖父は5人乗りの帆掛け船で、黒潮渡りに太平洋を横浜まで上り、さらに蒸気船に引かれて出掛け、太平洋で珊瑚を採っていたんですよ。本当に大変な仕事でしたよね。」まさにジョン万次郎、坂本龍馬ら、豪快なの男達を生んだ土地ならではの、壮大な男の物語だ。

熱心に当時の様子や珊瑚について語って下さる濱田さんの店には、珊瑚だけでなく、鰹はじめ魚介や海草など、豊富な海の恵みの品物が並ぶ。旅の最後の思い出に、血赤珊瑚の指輪を買わせて頂いた。それはかつて博物館に置かれていた指輪で、私にとっても旅の最後の思い出である。心から感謝して去った。

土佐という土地で。優しい桃色や、鮮やかな赤色の、宝石珊瑚が見せてくれた夢。またあの海に会いたい、あの海辺の人たちに会いたいと、きっと私は思うだろう。

それはまるで、お母さんの羊水に抱かれた、赤子に返るような気持ち。母なる海、という言葉がぴったりな、懐かしい、夢のような旅だった。

宝石珊瑚の眠る黒潮の海よ、永遠に・・・・。



「高知サンゴ工房」平田珊瑚
高知県高知市桟橋通り4-7-1 TEL.088-831-2691
(午前8:30〜午後6:00)
http://www.kochi-sango.com

「西森珊瑚」
高知県高知市小倉町2-8 TEL.088-883-2450

「黒潮観光市場」舶来屋
高知県高知市弘化台20-28 TEL.088-882-7811

民宿「青岬」
高知県土佐清水市松尾うすばえ1042 TEL.0880-88-1955

Sea Proof「シープルーフ」
http://www.seaproof.info

avecmer.e「アヴェクメール」
http://avecmere.com

「宝石珊瑚保護育成協議会」
http://www.j-coral.com